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東京高等裁判所 昭和27年(ラ)85号 決定 1952年4月08日

抗告人 帆足計 宮越喜助

訴訟代理人 海野普吉 外二名

相手方 外務大臣 吉田茂

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告人は相手方のソ連行旅券発給拒否なる行政処分につき執行停止を求めるものであり、その抗告の要旨は末尾添付の別紙記載のとおりである。

惟うに行政処分がこれを受ける者に対し、直接作為又は不作為を命ずるとか、又は当該処分の結果として現在の法律状態に変更を来すような積極的効果を生ぜしめる場合には、必要あれば行政事件訴訟特例法第十条の規定により、当該処分の執行そのもの又は処分の効力の発生を停止すべきことを求めうるも、行政処分が何等かゝる積極的意味を持つものでなく、単に消極的な効果を有するに止るときは、同条に基く執行停止なるものは存し得ないというべきである。しかるところ、本件旅券発給拒否処分はかかる積極的効果を生ぜしめるものでなく、又これが執行を停止して見ても被告人等の旅券発給申請に対し未だ許否の処分が為されなかつたと同一の状態を作出するにすぎず、それによつて相手方外務大臣が今後旅券発給の義務を負担するに至るものではないから、該効力の発生停止は抗告人等に取り何等実質的の意味を有しないことが明かである。それ故右停止申請は許すべきでなく、これを却下した原決定は相当で、本件抗告は到底採用に値しない。

よつて主文の通り決定する。

(裁判長判事 松田二郎 判事 岡崎隆 判事 奥野利一)

抗告理由

一、原決定は、本件旅券発給拒否処分の執行停止をしたところで、旅券発給拒否という処分がなかつたと同じ状態があらわれているに過ぎないから、拒否処分に因り生ずべき償うことのできない損害を避けるために何の役にも立たないとしている。

然し果してそうであろうか。一面から言えば、旅券発給拒否処分が停止されれば外務大臣はその効力によりき束されて再び発給拒否はできなくなると解すべきであつて、単に旅券発給拒否という処分がなかつたと同じ、状態があらわれることにはならない。

この場合には外務大臣は改めて申請者から請求があれば、とに角旅券を発給する義務があることになると解すべきである。然しこれは旅券発給拒否処分の執行停止の反射的効果であつて外務大臣にたいし積極的行為を命ずることではない。なおこの場合においで外務大臣が旅券を発給するかしないかは、その時になつてみなければ予測出来ないのであるから、司法機関としてはそこまでを憶測判断する必要はないものと思料する。右の如き効力がある以上少くとも、拒否処分により生ずべき償うことのできない損害を避けるために何の役にも立たないということにはならない。

二、又一面から言えば、元来海外渡航の自由は憲法により保障せられているが出入国管理令により旅券なしに渡航することは禁止されているのであるから、旅券発給申請にたいしこれを拒否することは、とりもなおさず海外旅行の自由権を積極的に妨害することである。本件行政処分の執行停止申請は、実質上、この妨害という積極的処分の執行停止を求めることに外ならないのであるから、本申請が認められた以上、行政庁はもはやこの海外渡航を妨害することができなくなるのである。従つて償うことのできない損害を避けるため必要かくべからざる手段であるといわなければならない。たゞ出入国管理令の関係で、現実旅券の所持がなければ渡航できないことになるかも知れないが、しかし本件の場合はソ連政府において入国を認めているのであるから、日本から出国さえ出来れば別に支障はないのである。

以上いずれの理由によるも、原決定が、本件申請を認めても処分の執行により償うことのできない損害を避けるために何の役にもたたないとすることは理由のないものと言わなければならない。むしろ行政事件訴訟特例法の認める限度における最も必要な方法である。

三、なお原決定によれば、本件旅券発行拒否処分はそれ自体何らのき束をもつものでないから、外務大臣が後になつて申請を許す処分をするにつき何ら妨げあるを見ないと言つているけれども、そもそも裁判を受ける目的は行政庁の自由な裁量をまつことでなくして、これに一定の義務性を確認せしめることである。拒否処分は何らき束力はなくとも、拒否処分の執行停止はき束力をもち、外務大臣は重ねて拒否できないと解すべきであるから、もはや外務大臣としては二者択一の余裕はなくなるのである。

四、最後に一言すれば、基本的人権を制限禁止するは、たゞ公共の福祉に対する明白直接な危害の防止のためやむを得ざる場合に限ること、而して右の公共福祉上の危害についての認定は終局的には裁判所の判断によるべきこと、而して斯る認定がなされる以上、基本的人権の行使を保全するための仮の処分が認められるべきことである。若し然らずして、基本的人権行使の限界が私人の個々の認定のみに放任せられることとならば、社会は実力による争闘の場所となるであろう。斯る場合、公正なる司法機関が冷静に判断することが国家権力と私人との摩擦を緩和する所以であり、法治国たる所以であると確信する。

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